東大の大学院を受けて落ちた話をしたいと思います。
僕自身、学部は東大に通っていたわけではなく、他大から東大を目指しましたので同じ境遇の人の参考になれば良いなと思っています。
また、大学受験の時より熱意を持って本気で取り組んでいたので、その熱意を忘れないように書き残しておきたいと気持ちもあって書いてます。
本記事では特に以下の人に向けて書きました。
こんな方におすすめ
- 他大学院を受けようと思っている人
- 機械系の学部生
結果として落ちているのでどこまで参考になるか分かりませんが、そんな人もいるんだーくらいの軽い気持ちで読んでもらえると嬉しいです。
東大の機械系の院試は範囲が広く基礎を身に着けるには最適ですので、機械系の学生は東大を目指した方が良いですよ!
自分のバックボーン
現在、(東大以外の)某旧帝大の航空宇宙工学専攻に在籍していますが、学部は私立大学の機械系の学科でした。
大学受験の時は東大を受ける学力もなく、地方国公立も前期後期と落ちて滑り止めで受けていた私立が(ほぼまぐれで)受かり、浪人もしたくなかったので、その私立大学に進学することを決めました。
僕の学力は低かったと思います。参考までにですが、大学の偏差値は50ちょっとくらいです。
そこから勉強を(自分なりに)頑張って、某旧帝大の航空宇宙工学専攻に進学することができました。
大学の時間の使い方って本当に自由ですが、僕は学びを軸において大学生活を送っていました。
もちろん軸に置いているだけで割と遊んでましたし、講義中に友人と麻雀したり、計画的にサボったりもしてました笑
ただ、まわりに勉強に重きを置いている人が少なかったので「意識高い系」と揶揄されることも少なからずありましたね・・・。
ですが、愚直に取り組んでいる姿から応援してくれる人もいて嬉しかったです。
温かい友人がいてくれて本当にありがたかった。
話が逸れましたが、僕のバックボーンをまとめるとこんな感じです。
まとめ
- 偏差値50程度の私立大学出身
- 東大院落ち、某旧帝大院合格
- 大学時代は学びを軸にした生活
東大を目指した理由
前提
まず大前提として、僕自身は学歴にあまりこだわりはありません。
学歴は1つのパラメータであって、それだけで相手を判断できないからです。
ただ、偏差値が高い大学に通っている場合、試験を突破しているわけなので一定の知識を持っていたり、突破するための努力をしてきたっていう証にはなると思います。
そういった意味で、学歴というのは分かりやすいパラメータになるので『あまりこだわりはない』って表現にしました。
学歴にこだわりはないという前提で、なぜ東大を受けようと思ったのかを次で話そうと思います。
なぜ東大
先にも述べたように学歴にこだわりはあまりありませんが、ならなぜ東大を受けようと思ったかについて話していきます。
理由はシンプルで「東京に行きたかった」からです。
何か浅いですね笑
ただ、勿論これには理由があって、東京には多くの機会があふれているからです。
セミナーやイベントが頻繁に開催されていますし、人との関りもけた違いに増えると思います。
東京に行けば多くの機会に巡り合い、人生の選択肢がもっと多様になると当時は考えてました。
本当にそうなるかは分かりませんが・・・。
ただ、東京に住むにはお金がかかりますし、家は裕福でもないので、親を説得するには東大に受かるしかないなと思って東大を目指しました。
これが大学3年生の4月です。
ちなみに東京には多くの機会があると思ったきっかけは、大学2年生の時に「宇宙就活」というイベントに参加したことです。
昔から宇宙に関心があり、偶然そういった広告を見かけて参加を決めました。
今思うと、このイベントへの参加が人生のターニングポイントだったかもしれませんね。
とりあえず、きっかけはこんなものです。
そんな素晴らしいものではないですが、まぁきっかけってこんなものですよね。ね?
まとめ
- 学歴は1つのパラメータ
- きっかけは東京に行きたい
院試対策の生活
大学3年生の4月から東大を目指すことを決意してからは、自分なりに戦略を立てて日々の生活を送りました。
まず、それまでの講義は(院試で使いそうな科目は)そこそこ真面目に受けていましたが、これだけでは不十分だと思ってネットで調べて情報収集しました。
試験科目は何か、参考書は何か、どれくらいの難易度か、このあたりを調べていた記憶があります。
あと、院試用のTwitterアカウントを作りました。
そこで知り合った人は今でも交流がありますし、互いに院試の苦労をくぐりぬけてきたので、僕は勝手に戦友だと思ってます。
ほんと、この戦友のおかげで最後までやり切れました。感謝しかないです。
計画
やはり計画は大切で、細かく計画を立てていました。
とは言っても、計画を立てて勉強をした経験などないので常にPDCAをまわしていました。
当時使っていた手帳に記録が残っているので、どんな感じか写真を撮りました。
一部ですがこんな感じです。
基本的には、対策としてやらなければいけないことをばーーっと書き出して、それを試験までの月ごとに分割して、さらに週・日ごとにやるべきことを明確にしました。
明確にしたは良いんですけど計画倒れになることも多々あったので、三日ごとに振り返りをして適宜予定の修正をしていました。
人によっては当たり前じゃんって思うかもしれないですが、僕はちゃんと計画立てて取り組んだ経験がなかったので、試行錯誤を繰り返して自分に合った予定の立て方を見出しました。
今も計画立てるときはこの考えをベースにしています。
試験対策
院試では主に専門科目と基礎科目(数学)に分かれていますが、ここでは特に専門科目に焦点を当てたいと思います。
東大機械系の院試では、他の大学院試験と比べて多くの専門科目を対策しなければいけないので大変です・・・。
何を勉強をしなければいけないか書き出してみますね。
試験科目
- 材料力学
- 機械力学(振動)
- 熱力学
- 流体力学
- 制御工学(古典と現代)
- 伝熱工学
- 生産設計
大体この7つです。さらに過去には統計熱力学が出たこともあるので、対策しなければ範囲はかなり広いです。
ほかの大学院だと、大体2~4科目くらいなので、東大の試験科目の多さが際立ちますね。
専門科目の勉強には4力精選という問題集があるのでそれを使って対策していました。
ですが、習っていないことばかりで本当に進めるの苦労しました。
まじで分かんない単語だらけですし、知らない定理や考え方、当然のように「~だから」と使っているけど、なんでそうなる!?ってヒーヒー言ってた覚えがあります。
なので、考えやそもそも全く見たこともない問題たちに拒否反応を示さないために、解答を写すことから始めました。
写す過程で、分からないことは調べたり、後から見て分かるように計算過程を書き残しました。調べても分からないことがあったりもしましたが、その時はどうしようもないので「そういうものだ」って自分を納得させて次に取り組みました。
ただ2回目解くときは不思議と理解してたりするんですよね。ほんと不思議です。
流体力学のナビエストークス方程式を初めてみたのもこの時です。
式は長いですし、ナブラやラプラシアン使ってるし、「もう本当になんだコイツは」となった記憶が鮮明にあります。
問題集だと普通にナビエストークス方程式から、以下のように書けるって書いてあって「???」となりました。
つまりナビエストークス方程式くらい覚えておけってことです。
今でこそ慣れ親しんだ式なので覚えていますが、当時は初見で原理も式の意味も理解しておらず「これを覚えるのか・・・」って絶望していました笑
なので、問題に取り組む前にナビエストークス方程式を何回か書いて手に覚えさせました。懐かしいです。
各科目それぞれに思い出がありますが、やっぱり一番覚えているのは流体力学ですね。ナビエストークス方程式が強烈でした笑
で、4力精選は最終的に3周しました。この問題集を使って調べたり、考えたりしたおかげで機械屋さんとして必要な基礎は多少身についた気がします。
3周目終わるころにはこんな感じになってました笑
付箋がたくさん張り付いていて、当時の頑張りようが何となく分かりますね。いやー、今もつらいときはこれを見て「当時はこれだけやってたんだからまだ頑張れる」って自分を鼓舞するときに使ってます。
東大って試験科目が多くて試験内容も難しいのですが、そのために対策をすることで満遍なく一定の知識を持てるようになるので、機械系の人は東大の大学院を受験することを勧めます。
また、僕は大学の講義が試験範囲をカバーしていなかったり、まわりに問題を相談できる人もいなかったので、基本的に自分一人で調べたり学んだりする必要がありました。そのおかげで、自分一人で学ぶ力が養われ、同時に学ぶことの面白さに気づきました。
参考書を読んでも分からないことは多々ありましたが、何を伝えたいのか意図を考えたり、何度も読み直すことで解釈できる瞬間があって、それが本当に楽しいんですよね。大学生の間に気付けて良かったと心から思います。
これは蛇足ですが、もし東大を受ける人はこの4力精選だけでは不十分ですのでそこだけご注意を。
試験直前
大学院試験は大体7~8月頃にあるのですが、その試験前のことに書いていこうと思います。
そのころの勉強時間の記録が残っているので載せておきます。
これを見ると一日平均4~5時間くらい勉強していますね。
日曜は休息日としていたので、それを考慮すると6時間くらいですかね。
この時は卒業研究にも取り組んでいたので、一日の時間配分に気を付けていました。
当時の生活としては、図書館の開館時間と同時に入って、1~2時間勉強したら研究室行って研究して、そして夕方・夜にまた図書館行って閉館まで居座っていました。
今思うと割とストイックだったと思います。
ご飯を食べる時間ももったいないと思って、参考書片手にご飯を食べていました笑
ただ、かなりストイックを送っていましたし、同時にまわりは就活で進路をどんどん決めていくので精神的にかなり不安定でした。
僕がいた大学はほとんどが就職するので、まわりは進路が決まっているのに自分はどこも決まっていない・・・という状況がずっと続きました。
本当に苦しかったですね・・・。
それなりに対策しているつもりでしたが、合格する保証はどこにもなく常に不安が付きまとっていました。
きっと似た経験を大学受験でするんでしょうが、僕はこの時が初めてでどうしたら良いか分からなかったです。まぁ、自分を信じて計画を淡々とこなしていました。
ただ、そんな状態が何ヵ月か続いたせいか、試験二週間前とかには問題を解きながら泣いてたりするんですよね。
自分でも驚きました。
ただ、自分がやってきたことを目に見える形として残していたので、それを見て気持ちを落ち着かせました。
記録しておいて良かったです。
試験
いよいよ試験です。
まさか本当に自分が東大を受けるなんて・・・、夢かと思いながら受けた覚えがあります。
当時の受験票はお守り代わりに残してあります笑
手ごたえ的には悪くなかったんですがダメでしたね。
ダメでしたが、落ちた悲しさより終わったという解放感が強かった覚えがあります。
東大を目指して1年と半年間ほど走ってきましたが、その過程で得るものは多かったです。
後悔がないかと問われると多分ありますが、自分なりに走り切ったので満足もしています。
また、東大を目指していたおかげで某旧帝大の航空宇宙工学専攻には合格できたと思うので、まったくの無駄ではなかったです。
某旧帝大の試験は東大と比べたら優しく感じて、自分の体感として8~9割はあっていると思います。
試験も結構な時間を余して解き切ったので、十分見直す時間はありました。ただ、だからといって油断せず最後の最後まで見直して、少しのミスも無いようにしました。
おかげ研究室も第一希望のところに入れて、今はやりたかった流体の研究に取り組めています。
まとめ
書きたいことをばーーーっと書いたので、読みにくい箇所も多々あったと思いますが、最後まで見て下さってありがとうございます。
院試の対策をしていくうちに流体の研究をしたいと思うようになり、現在は当時の願いが叶ってます。
大学院を目指したきっかけはシンプルでしたが、おかげで人生変わりました。
この経験は自分の宝物です。
もし大学院のことで相談があればTwitter(piy0_gadget)のDMまでよろしくお願いします。
僕もTwitterで先輩方にはお世話になったので、その恩返しも兼ねて他大の院を受ける人の力になりたいと思います。
何でも気軽にしてきて下さい!
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